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アクスムとは
アクスムは、エチオピア北部の街。
アドワ山地の麓に近いティグレー地方メハケレグナウ圏 (Mehakelegnaw Zone) にある。

かつてのアクスム王国の中心地である。
この王国は、イエス誕生の頃に勃興し、在りし日のペルシャ帝国に対抗する東ローマ帝国の半同盟国として、海上貿易で栄えたキリスト教国であった。しかし、この王国は7世紀に没落した。
理由は不明だが、イスラームの勃興により、沿岸部の航海しかできないでいた貿易船の航行が妨害され、アレクサンドリアやコンスタンティノポリスなどの主要市場との関係が絶たれたことが衰退につながったと推測されている。
王国の衰退とともにアスクムの都市も衰退した。この結果、エチオピア帝国の中心地は内陸部にシフトした。

エチオピア中央統計局による2005年のデータでは、
アクスムの人口は47320人(男性20774人、女性21898人)である。
その75%がエチオピア正教徒で、残りはスンニ派のムスリムや非正教系のキリスト教徒である。

アクスムには、アクスム空港がある。
その歴史的価値から、考古遺跡群がユネスコの世界遺産に登録されている。


アクスムの歴史
アクスム王国はゲーズ語 (Ge'ez) と呼ばれる独自の文字言語を持っており、
古いものは紀元前5000年から前2000年まで遡る巨大なオベリスクに代表される独自の建築様式を発達させていた。
この王国はエザナ王の時に最盛期を迎えた。
公式にキリスト教に改宗したのもこの時期で、エザナ王もアブレハという洗礼名を持つ。
初期の伝道を行った人物としてエチオピアの大主教フルメンティがいる。

エチオピア正教会は、シオンのマリア教会 (Church of Our Lady Mary of Zion)にモーセの十戒を刻んだ石版を納めた契約の聖櫃があると主張している。
この教会では、数世紀に渡りファシリデス帝の治世までの代々のエチオピア皇帝が礼拝し、
中断の後、ヨハンネス4世から帝政の終焉まで再び歴代皇帝が礼拝していた。
アクスムはエチオピア最高の聖地であり、重要な巡礼地なのである。

1月19日には重要な祭事であるティムケット祭(T'imk'et Festival, 正教会でいう神現祭、西洋世界でいう公現祭)が行われ、11月下旬にはマリヤム・シオン祭が行われる。

1937年に1700年前のオベリスク(全長24m)をイタリア軍が三分割し、ローマに持ち帰った。
このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の最良の例証の一つであることは衆目の一致するところであり、1947年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議した。
しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005年に返還された。




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