月の港ボルドー

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月の港ボルドーとは
「月の港ボルドー」はフランスの世界遺産のひとつ。
その名の通り、かつて港町として栄えたボルドーの歴史地区を登録対象としている。
「月の港」は、ボルドー市内で三日月形に湾曲しているガロンヌ川沿いに発達したことに因むボルドーの通称である。
古代ローマの植民都市になる以前からの歴史を刻んできたボルドーには、
歴史的建造物群が多くあるが、登録に当たって特に評価されたのは、
ルイ=ユルバン=オーベール・ド・トゥルニー (Louis-Urbain-Aubert de Tourny) らによって
形成された啓蒙時代の新古典主義建築の都市計画が良好に保存されていることによる。


17世紀半ばからフランス革命期までが、近世以降のボルドー史における絶頂期として知られている。
この繁栄を支えたのが新しい港であった。
ボルドーはワインを扱うとともに、
サン・ドマングをはじめとするアンティル諸島の植民地で生産された砂糖やコーヒー、
そして奴隷なども扱った。
ボルドーは、植民地から買い入れた商品をドイツやオランダの諸都市に売る中継貿易によって、大いに潤った。


月の港ボルドーの歴史
マネが描いた『ボルドーの港』
1730年には1000万リーヴルにすぎなかった植民地貿易額は、フランス革命前夜の1788年には1億1000万リーヴル超という急成長を遂げ、ナントやマルセイユの二倍以上にもなった。貿易総額も年平均額は18世紀を通じて、
2億リーヴル台から10億リーヴル台へと成長している
(名目値だが、実勢値で修正しても3倍増にはなっていたと見積もられている)。

大司教やアンタンダン(地方長官)、王に派遣された執政官らは
、都市を美しく飾り、不衛生な沼地の郊外を干拓し、古代の城壁を整備した。
特に、アンタンダンのトゥルニーとブーシェ (Boucher) は、より小規模ではあったけれども、
オスマンのパリ改造に100年先んじる都市改造を行ったのである。
建築家アンドレ・ポワチエ (André Portier) は、旧市街の城塞化された門を壮麗な凱旋門に変えた。つまり、ヴィクトワール広場のアキテーヌ門、ガンベッタ広場のディジョー門、モネ河岸のモネ門、ビル・アカン広場のブルゴーニュ門などである。
街には、ヴィクトル・ルイ (Victor Louis) によって大劇場 (Grand Théâtre) も建てられた。



ルイ15世お抱えの建築家アンジュ=ジャック・ガブリエル (Ange-Jacques Gabriel) は、
トゥルニーの要請で作られた公の庭園をボルドーの人々に気に入られる緑地や散歩道にしようとした。
また、ガブリエルは、河岸に臨むショーウインドーとも言うべき建造物群、
すなわちヴェルサイユ型の壮麗なブルス宮殿も手がけた。

この宮殿と広場は、当初は広場の中央に配されたルイ15世の騎馬像を包む宝石箱のような役割を与えられていたのだが、
革命中の1792年には騎馬像は溶かされ、1869年にはそれに替えて、
ルイ・ヴィスコンティ (Louis Visconti) の設計に基づく三女神の噴水 (fontaine des Trois Grâces) が置かれた。
18世紀のボルドーは、その近郊の出身であったモンテスキューを先駆とする啓蒙時代において、
ヨーロッパの中心都市のひとつであった。
その後、ナポレオンによるピエール橋の建設、工業化の発展、船舶の大型化、鉄道網の発達などによって序々に衰退し、
経済の第一線から退いた。


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