ダラム城と大聖堂

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ダラム城と大聖堂とは
ダラム城は、イギリス・ダラムにあるノルマン様式の城。

1840年より全体がダラム大学学生寮となっている。
城はダラム大聖堂と共にウェア川を見下ろす丘の上に立つ。

城の原型は、11世紀にイングランド王国北部においてノルマン朝の勢力を投影させるために建てられた。
1066年のノルマン・コンクエストの分裂に従い、
野蛮で移り気なままの北部イングランドの人口増加があったためである。
城は、ノルマン人が好んだ初期モット・アンド・ベーリー型城の秀逸な例である。

ダラム司教の聖務所としての城の所有は、
アングロサクソン時代から封建的な領主司教であったダラム司教を味方につけて
王家の権力を振るおうとした王によって、許可されたものだった。
城はダラム司教座となった。


城は、ダラム司教がビショップ・オークランド(カウンティ・ダラムの町)に司教邸宅をつくるまで、
ダラム司教の司教邸宅であった。城はダラム大学学生寮に転用された。
城内には、14世紀初頭に司教アントニー・ベックがつくった広大な大広間(Great Hall)がある。
15世紀終わりに司教リチャード・フォックス(のちヘンリー8世に重用され王璽尚書も務める)が縮小するまで、
イギリス最大の大広間だった。
しかし、今も高さ14メートル、長さ30メートルの広さである。


<大学学生寮>
1837年、城は主教エドワード・マルトビーにより学生の住居として、新設されたダラム大学へ寄付された。
ダラム大学学生寮(University College, Durham)と名付けられた。
建築家アントニー・サルヴィンが原型平面図から荒れ果てた要塞部分を再建した。

1840年に使用が始まり、城は今も100人以上の学生が住み、その大多数は要塞部分に暮らす。

大学の学生と職員は、食事をベク司教の大広間でとる。
大広間の地下室は、もっぱら在学中の学生が第一に利用するバーを備えた談話室となっている。

2つある礼拝堂は今も使用されており、どちらも施設として、または演劇活動に利用される。
その他の施設には、大学図書館、大学事務室などが含まれる。

学生寮が休暇に入ると、大学は城内の部屋を会議(ただし学会である)やホテルのような宿泊施設として使われる。
一般人が城に入る手段は、ガイド・ツアーだけに制限される。
これらの他、大学の限られた職員や休暇で呼ばれた客人が城を訪問できる。



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