ヘンダーソン島

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ヘンダーソン島とは
ヘンダーソン島とは、
南太平洋に浮かぶ島で、ピトケアン諸島に属するイギリス領の無人の孤島である。
バウンティ号の反乱事件で一躍有名になったピトケアン島から約190Km離れた所にある、面積約37km²の珊瑚礁の島で周囲は岩礁に取り囲まれている。

この孤島にはかつてポリネシア人による社会が存在したが、後にその社会は消滅し(いわゆるミステリー・アイランドの一つ)、1606年にスペイン人航海士ペドロ・フェルナンデス・デ・キロスによって再発見された。

キロスによると、上陸した際は無人島であったが、古代ポリネシア人が生活していた思われる痕跡があったという。
その後、島の存在はしばらく忘れ去られていたが、1819年1月17日にイギリス東インド会社のヘラクレス号のジェームズ・ヘンダーソン船長が島に到着し「ヘンダーソン島」と命名した。
同年3月2日にも捕鯨船エリザベス号のヘンリー・キング船長が島に上陸し、船名から「エリザベス島」と命名したために名称が重なっていたが、19世紀末には現名のヘンダーソン島で定着した。
1820年12月27日にはアメリカの捕鯨船エセックスがマルケサス諸島付近で、マッコウクジラの攻撃で沈没し、乗組員20人が小さなボート3隻に乗り、南アメリカに向かっていた(ハーマン・メルヴィルの『白鯨』にも出てくる)。

その内、トーマス・チャベル、セス・ウィークス、ウィリアム・ライトの3人の乗組員が乗る1隻のボートは漂流し、ヘンダーソン島に漂着した。3人は島に上陸し、1821年4月9日に救出されるまでの数ヶ月間、ヘンダーソン島にいた。
乗組員3人は島で新鮮な水を求めて探したが水は見つからず、その代わり、以前ヘンダーソン島を訪れた捕鯨船エリザベス号の名前が彫られた木を発見した他、島にある洞窟で8体の人間の人骨を発見したと救出された後、報告ている。
1851年にもピトケアン島民が島を訪れた時、海岸で人骨を再発見している他、1958年4月7日にも別の洞窟で大人1人と子供3人と思われる4体の人骨が発見され、その後、診断で白人の起源だった事が分かった。

1966年のアメリカの調査、研究で幾つかの海岸付近や洞窟で見つかったと言う人骨を調べた結果、その中の1体の人骨などは、かつて島に定住していたポリネシア人のものでは無く、島で食べ物も水もなく、脱水症状で死んだと思われる正体不明の難破船の白人の乗組員達の人骨ではないかと見られている。
1957年にはピトケアン島民に救出されるまで、ロバート・トマーチンと言う名のアメリカの青年がペットのチンパンジーと一緒に2ヶ月間ヘンダーソン島で漂着生活をしていた。
ヘンダーソン島にはヘンダーソンオウムなど5種類の鳥や10種の植物、および昆虫やカタツムリの種の大半がヘンダーソン島固有種であるなど、今も手つかずの自然が残っている。
1980年代初期にアメリカの実業家アーサー・M・ラトリフが牛の牧場や自分の大豪邸や滑走路建設計画など島を開発しようと計画していた。
1981年4月にピトケアン島の立法議会側も彼のこの計画を承知したが、イギリスの環境保護団体が島の自然生態と環境を保護するためロビー活動が行われ、中止を余儀なくされた。
現在ではこの島の環境全体が進化検証の場所として保護されている。
独特の自然が残るこの島は1988年に世界遺産の自然遺産に登録された。



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