スホクラントとその周辺
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スホクラントとその周辺とは
スホクラントは、
オランダ・フレヴォラント州の干拓地北東ポルダーにある、もとはゾイデル海に浮かぶ島であった場所。
アイセル川の河口の北、北東ポルダーの南部にあたる部分に南北に細長く延びており、島の住民は独自の方言や文化を育んでいたが、高潮で危険であるとして19世紀に放棄された。
1942年にはゾイデル海開発の一環となる北東ポルダー干拓工事によって陸続きとなり、島でなくなった。
しかし低い干拓地の中に若干盛り上がった場所があることから、かつて島であったことがうかがえる。また「Middelbuurt」と呼ばれる集落のあった場所には、水際の擁壁の一部が昔のまま残っている。
スホクラントが周りから高くなっているのは、最終氷期の氷河地形の名残であり、氷河が流れたあとに形成した土手がもとになっている。
古代には広い低湿地が広がっていたオランダ北西部は、北海の海水面上昇と南への海水の進入により巨大な湾であるゾイデル海へと変わった。
スホクラントは中世にはゾイデル海の中に突き出した半島であり魅力的な農地となっていたが、絶えざる海水による浸食により、15世紀には海中に孤立した島となってしまった。
北海が荒れるたびにゾイデル海も波の影響で荒れ狂うため、スホクラントは絶えず洪水や高潮の脅威にさらされる土地となった。19世紀までにスホクラントの面積は中世の時点からますます小さくなり150ヘクタールほどに縮小し、住民は低地を捨てて高台に集落を移し漁業などで生計をたてた。
これが 北の集落Emmeloord, および南の二か所の集落 Molenbuurt, Middelbuurt の三集落である。
これらの集落はオーファーアイセル州に属しており、北の集落は主にローマ・カトリック、南の二つの集落は主にオランダ改革派を信仰し、三つの集落からなる自治体スホクラント村には1849年に641人の人口があった。
孤立した島に住む人々は独特の方言(Schokkers)を話し独特の衣装を作るなど、島独自の生活や文化を築いてきた。
しかし1825年の大洪水でスホクラントは破壊され、オランダ政府は1859年、人命の危険があり堤防建設など生活維持に費用のかかることを理由に、スホクラントでの恒久的集落の放棄を決定した。
スホクラント村は廃村となり本土のカンペン市に併合された。本土に移住した島民の子孫は現在、協会を作って独自の伝統や言語の継承を続けている。
皮肉なことに、19世紀半ば以降、島に対する波の浸食や洪水は減少した。
1942年の北東ポルダー完成後、スホクラント周辺は再び農地へと変わった。
今日では、スホクラントは19世紀までの漁港や教会、住居、擁壁、灯台などが残る考古学遺跡群と、その歴史を展示するスホクラント博物館で有名である。
また1995年にはオランダ最初の世界遺産に登録された。
スホクラントとその周辺