シドニー・オペラハウス

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シドニー・オペラハウスとは
シドニー・オペラハウスは、1981年の第5回世界遺産委員会で最初に推薦された。
この時は「周辺一帯を含むシドニー・オペラハウス」(The Sydney Opera House in its Setting) として、
ハーバーブリッジなども含めた登録を目指していた。
しかし、ICOMOSによる消極的意見に基づいて、オーストラリアは推薦を取り下げた。

その後、ニュージーランド・クライストチャーチで開催された第31回世界遺産委員会(2007年)において、
オーストラリア国内で17番目、文化遺産としては王立展示館とカールトン庭園(メルボルン)に次いで
2番目の世界遺産に登録されることが決定した。
なお、これまでに登録された世界遺産の中では、年代的に最も新しいものとなった。
中核地域はシドニー・オペラハウスのみだが、緩衝地域としてハーバーブリッジや王立植物園も含まれている。


シドニー・オペラハウス(Sydney Opera House)は
オーストラリア・シドニーにある20世紀を代表する近代建築物であり、
世界的に有名な歌劇場・コンサートホール・劇場でもある。
オペラ・オーストラリア、シドニー・シアター・カンパニー、シドニー交響楽団の本拠地になっている。

設計者は計画決定当時無名だった建築家ヨーン・ウツソン(ヨーン・ウッツォン)であるが、独創的な形状と構造設計の困難さなどにより工事は大幅に遅れ、1959年に着工したものの竣工は1973年だった。
大幅な工期と予算の超過にもかかわらず、完成後はシドニーのみならずオーストラリアのシンボルとしても親しまれるようになった。
シドニー港に突き出した岬に位置し、貝殻やヨットの帆を思わせるシドニーのオペラハウスの外観は、
シドニー・ハーバーブリッジとともにシドニーを訪れる観光客の定番の撮影スポットでもある。

シドニー・オペラハウスの構想
1940年代末、ニューサウスウェールズ州立音楽院の校長であったユージン・グーセンスは、
音響的に完全な大型コンサートホールをシドニーに建設すべきだと主張し、
政財界の要人を説き伏せるべく奔走した。
シドニー・オペラハウスの実現は、グーセンスの努力によるところが大きい。
当時シンフォニーコンサートを開催できる会場としてはシドニー・タウン・ホールがあったが、十分な大きさがあるとはいえなかった。
1954年、ついにグーセンスはニューサウスウェールズ州首相ジョゼフ・カール(Joseph Cahill)の支援を得ることができ、カール首相はオペラ専用劇場のデザイン案の公募を行った。
現在オペラハウスはシドニー市街北部の岬、ベネロン・ポイントの突端に立地しているが、
ここに劇場を建設することにこだわったのもグーセンスだった。
ベネロン・ポイントにはかつてマッコーリー要塞(Fort Macquarie)があり、1901年以来要塞跡地には路面電車の車庫が建っていたが、グーセンスはここをオペラハウス用地にしようとした。
カール首相はシドニー中心部の北西に位置するウィンヤード駅周辺を希望していたが、グーセンスに押し切られた。

カール首相が組織した建築設計競技(コンペ)には世界から233件の応募があった。
この中から当時無名だったデンマークの建築家、ヨーン・ウツソン(Jørn Utzon)の設計案が選ばれ、1955年に基礎デザインが決定した。
ウツソンの描いた帆や貝殻の群れを思わせる複雑で有機的なデザインは一次選考で落選していたが、審査委員だった建築家エーロ・サーリネンがこのアイディアを気に入り、最終選考に復活させ強く支持したとされる。ウツソンは1957年シドニーに到着し、建設の指揮を執ることとなった。




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