古都トレド
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古都トレドとは
トレドはスペイン中央部の都市。
カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、トレド県(人口約60万人)の県都である。
マドリードから南に71kmの距離で、タホ川に面する。
かつての西ゴート王国の首都であり、
中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。
「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。
また、ルネサンス期のスペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名。
1986年、トレド大聖堂など旧市街全域が古都トレドとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
現代化をまぬがれ、古代ローマから西ゴート王国、後ウマイヤ朝、スペイン黄金時代といった
2千年紀にわたる文明の痕跡を残していること、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教による
異文化の混合がムデハル建築に示されていることなどが評価された
古都トレドの歴史
先史時代から人が住んでおり、
ローマの領地となってからは「トレトゥム」と呼ばれた。
西ゴート王国がイベリア半島を支配したのち、560年にアタナヒルド王によって首都とされた。
トレドでは400年に第1回トレド教会会議が開かれていたが、西ゴート時代にもたびたび教会会議が開かれた。
これによりトレド司教座の権威が高まり、イベリア半島全体の首座大司教座となった。
711年、ウマイヤ朝の指揮官ターリク・ブン・ジヤードによって征服され、イスラム支配下に入った。
後ウマイヤ朝が崩壊すると、タイファ諸国の1つトレド王国の領域となった。
1085年、カスティーリャ王国による長期の包囲ののちトレドは降伏し、
アルフォンソ6世は5月26日にトレドに入城した。
そののちもカスティーリャ王国はムラービト朝の攻撃からトレドを守り抜いたため、
トレド征服はレコンキスタの節目の1つとなっている。
エル・グレコによる『トレドの情景』
12世紀から13世紀、「トレドの翻訳グループ」と呼ばれる学者が活躍した。
イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、
古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。
この成果が中世西ヨーロッパの12世紀ルネサンスに大きな刺激を与えた。
トレドは鉄製品、特に剣の生産で有名となり、現在でもナイフなど鉄器具の製造の中心地である。
トレド征服以降、カスティーリャ王国やスペイン王国は定まった首都を持たず、
トレドは一時的な宮廷の所在地であった。
1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに宮廷を移すと、
マドリードが首都として確定し、トレドはゆるやかに衰退を始め、現在に至っている。
1577年ごろギリシア人の画家エル・グレコがトレドに定住し、
1614年に没するまで数々の傑作を残した。
19世紀以降にエル・グレコは重要な画家として再発見され、
現在ではトレドとエル・グレコは結び付けられて語られるようになった。
トレドのアルカサルは、19世紀から20世紀には有名な軍学校として使われた。
1936年、スペイン内戦の初期に、
共和国軍によってフランコ軍の守備隊に対するアルカサル攻囲戦(en)が行われた。
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